2022年7月22日金曜日

【短編小説】「あおによしの風」③

  まさか、班長の奥方が盗みなど・・。皆、とても信じられないという表情だった。イワナは、家族事情も昔から良く知っているようでなおさらだ。直立したまま言葉が出ない。

 「班長は最近、生活が困窮していたようで、決して皆には悟られないように気を配っていたようです。今の現場監察官に代わってから、色々と厳しい条件を突き付けられたようですが、皆のことを考え、それを少しでも和らげようと必死のご様子でした。」                     


 それがために、それまでの報酬を下げられ、生活が苦しくなったのだ。

 「そうだったのか・・。」

 サムシは、人の心や内情はそう簡単には分からないものだと改めて痛感し、己を恥じた。

 班長は、年老いた母親と3人の子供を抱えている。この先、どうするのだろう?今、直ぐにでも自宅に駆け付け、悼みたい。しかし、明日は、都からその監察官が視察に来る。今日までにどうしても作業を終わらせなければならないのだ・・。

 その日の午後、班長が家族ともども行方知れずになったとの報せが入った。だが、班長が言いつけた通りの業務を終わらせることが先決だ。

 夕刻になり、どうにか作業を完遂することができた。班長の事が気になり、疲労困憊も相まって夕食にいつもの賑やかさは無い。

 「サムシ。タキが訪ねてきたぞ!」

 勝手口から、アシホコが声をかけた。サムシの集落は、この作業場から一里ほどの近い所にあって、仕事が終わってから帰れないことは無いが、工期の間は仲間と共に飯場で過ごすことにしている。そんなことで、身体の病弱な母の代わりに、上の弟がたまに差し入れを持って来てくれる。まだ10歳になったばかりで、サムシとはずいぶん歳が離れている。

 「良く来たな。今日は何を持ってきてくれたんだい?」

 「栗がいっぱい取れたからお裾分けに持ってきた。みんなで食べて。」

 差し出した袋の中は、ツヤツヤと茶色に光る栗の実がゴロゴロと入っていた。

 「わざわざ有難う。仲間もきっと喜ぶよ。ところで母様の具合はどうだ?」

 「少し足が悪くなってあんまり歩けなくなったかな。兄ちゃんに会いたがっていたよ。」

 (しまった!)という表情で返事をしたタキの顔に焦りと陰りが一瞬見えた。

 「・・・あと3日もしたら帰るから、もう少し待っていてと伝えてくれ。それまでは2人で母様のお手伝いをしっかりするんだぞ。」

 暗くなるから早く帰れ。と次の言葉を出しかけたサムシは、(あっ!)と思い出したように奥から小さな竹かごを持ってきてタキに渡した。かごの中には緑色にキラリと光る一匹のタマムシが入っていた。昼間の作業中にどこからか飛んで来てサムシの肩に止まったのを今日あたり弟が来ると見越して採っておいたものだ。

 「わあ!ありがとう。」

 タマムシは、この時代も子供たちに大人気の昆虫だ。

 「栗のお礼だ。さあ早く帰らないと夜になっちまうぞ。」

 ・・・・


 今夜も、
あお向けになって見上げる夜空を満天の星々が彩っている。夕刻に弟にあげたタマムシの羽とどっちが奇麗だろうか・・。普段はㇲッと吸い込まれるように眠りにつくのだが、班長のことや弟に聞かされた母の症状を考えるとなかなか寝付けない。

 「自然も虫も美しい。何の衒いも無く、有るがままに輝いている。星や虫たちには人間のように悩みや苦しみがあるのだろうか・・・?」

 いくら考えても分からないし、答えは出ない。無駄な思索だと目を瞑り、右腕を枕に眠りについた。

・・・・

 今日も暑い。

 監察官の太麻呂(たまろ)は、小柄な中年太りの男だった。陰湿そうな細い目に長いあごひげを生やし、いかにも厳しい看守か番人を思わせるような風貌だ。早朝の作業開始時には、まだ見えなかったが、正午過ぎの頃、10人ほどの従者を従え、いつの間にか作業の様子をじっと見ていた。 

 取り巻き連中は大刀を腰に携え、手に長棒を持つ禍々しい気を放つ武人たちだ。やはり、都のお役人は雰囲気がまるで違うとサムシは思った。そろそろ休息の合図がかかる頃だが、その時、何か指示があるのだろう。

 だが、それから半刻ほど経ったが、休息の合図は一向に無い。一緒に柱を担いでいたアシホコが後ろからつぶやいた。

 「おかしいぞ。なんかいつもと違わないか?」

 確かに・・。休息の合図も無く、ヨロシもいない。ずっと働きづめだ。炎天下での作業は黙々と続けられ、皆の体力も限界に近づいているようだ。

 「おい、じいさん!大丈夫か!」

 向こうで叫び声がした。一斉に振り返ったその先にはイワナが倒れていた。疲労と熱にやられたのだろう。近づいてみるとグッタリとして意識が無い。周りの数人がかりで、休憩場に搬送しようとした。

 「誰が持ち場を離れていいと言った!」

 従者の一人がズカズカとこちらへ向かってきた。しかし、真っ先に駆け寄り、イワナを背負ったタビは無言で休憩場へ向かう。

 「待て!」

 従者の長棒がタビの首を制した。

 「あんたらに指図される覚えはねえ!邪魔するな!」

 タビは左手で長棒を振り払おうとした。だが、棒はすぐさま反転しそのまま足を連続で強打され、タビはその場にうずくまった。

 「何しやがる!」

 力自慢の若者たちが従者へ飛び掛かった。サムシたちも加勢に加わろうとしたが、いつの間にか太刀を抜いた数人の従者に囲まれていて身動きができない。

 タビを強打した従者は、訓練を受けた戦闘の専門家である武人だ。とうてい敵う相手では無く、瞬く間に全員が打ち据えられてしまった。

 「これだから困るんだよね。その反抗的な態度が工期を遅らせたのかねえ。」

 監察官が口を開いた。

 タビたちはそのまま従者たちに縄をかけられ、連れ去られてしまった。その場に残されたサムシたちは、もはや監察官を力のない目で見上げるしかない。

 「おまえらの班長も副長もすでに解雇した。さきほどの奴らは牢へ投獄し、お上に楯突いた反逆罪で厳しく処分する。お前たちも今日から解雇だ、報酬も無しだ、明日から来んでいい、分かったな!」

 「それは、あんまりだ!俺たちは今まで必至で頑張ってきたんだ!」

 アシホコが慟哭するように吠えた。シマもトラもオオムシもウマカイも・・・。サムシは、喉が震えて何も声が出ない。そんな自分自身が情けなかった。 →(④に続く