2022年5月21日土曜日

【短編小説】「マイの密やかな陰謀」③ (おわり)

  幸いにも母親の搬送先は、学校近くの総合病院だったので、すぐに駆け付けることができた。

 しばらくは気を失っていたようだが、今は上体を起こして会話できるまでに回復しているとのことだ。病室前の廊下には、付き添ってくれた会社の同僚が立っていた。

 「娘さん?ですか。」

 年恰好は母と同じくらいの40代前半とおぼしき痩せて背の高い女性だ。

 「いつもお母さんの恵美さんにはお世話になっています。急な事でびっくりしました。倒れた時は、幸いにも頭を強く打たずにすんで良かったです。今、少し良くなって、話もできそうですよ。」

 律儀な話し方をする女性だ。このシチュエーションだけに緊張しているのだろうか?マイは、まだ気が動転しているのか言葉を良く発することができない。(ありがとうございました)声になったのかならなかったのか?一礼すると急ぎ病室に入ろうとした。

 「あっ。ちょっと待って。」

 その同僚の女性は、社服のポケットから小さな封筒を取り出し、マイに渡した。

 「実は、だいぶ前に恵美さんからお願い事を頼まれていて、入院するとかのもしものことがあったら、この封筒を娘に渡してくれとのことだったの。」

 ホントに何の変哲もない白地に何も書かれていない小さな封筒だった。

「ありがとうございました・・。」

 やっと声が出たようだ。マイは、丁寧にお辞儀をすると踵を返し、病室へ足を進めた。

 窓際のベットに母が上体を起こして外を眺めていた。寂しそうな、と言うより何かを悟りきったような顔で。

 「麻衣子、ごめんね。心配かけたわね。」

 マイは母をじっと凝視しながら瞬きもせず、ベッド横のパイプ椅子に腰かけた。

 「実は、お母さん、随分前から体の調子が悪くてね、多分、病院の先生から後で詳しく説明があると思うから、ちゃんと聞いとくね。」

 同室の他の入院患者は昼食も終わり、どこかに出ているようでマイと母親の二人だけの空間で妙に静かだ。たまに隣室からテレビの音が少し聞こえるぐらいだ。

 「麻衣子。こんな時になんだけど、この前の話覚えてるでしょ。あの願望達成の話よ。」

 何もこんな時に・・とホントに思ったが、黙って話を聞くことにした。

 「麻衣子が中学の時は心配したけど、立派な高校生になって、本当に願望が達成できて良かったって正直嬉しく思うの。でもね、お母さんも中学の時から麻衣子の夢が叶いますように、元気になりますようにって、いつも『すみよっさん』にお願いしてたのよ。」

 と胸の前でそっと両手を合わせて、軽く目を瞑った。

 「子供の頃は麻衣子のようにいつも願い事ばかりしてたわ。でも私の場合は、花じゃなくて神社のお参りだったけどね。もちろん叶わないこともいーっぱいあった。でもね、願い事って、他の誰かさんの思いや念の力もあって叶うものだと思うのよ。だから、人のことも良く考えてあげられる『小さな愛』ってのが大事だと思うの。周りの人も味方につけないとね。そう思わない麻衣子?


 
マイを見ながらクスっと笑った。こんな時だというのに、母は何時になく多弁だ。端から見ていると、声音もだんだんとしっかりしてきて元気になったかのように見えるのだが、なぜか余計に不安が募る。(なんで、マイって呼んでくれないの・・)

 「お母さんね、若い時に親が二人とも無くなって悲しいことだらけだったけど、お父さんに出会えて、麻衣子が私の子になってくれて本当に良かった、幸せだったと思っているの。良い事も悪い事も糾える縄のごとしよ!辛いことがあっても頑張って生き続けることが大事よ。」

 チチッと鳴いて燕が窓の外をかすめて飛んだ。まだ、6月にもならないのに、もう初夏を思わせるような空だ。

 「あ、それからね、黙っていて悪かったんだけど、お父さん、神戸で一人で頑張っているようよ。だいぶ生活も安定してきたみたいだって。もし、お母さんに何かあったらお父さんを頼るのよ。」

 察しの良いマイは、さっき渡された封筒の中身が分かった。父の居場所、連絡先がメモされたものだろう。母に問うと、軽くうなずいた。

 その夜、マイはセントポーリアに念じていた。母の病状の回復と何事も無い検査結果について。(どうか無事でお願いします)何度も何度も。

 それから1週間後、容態の急変した母は、あっけなくこの世を去った。ステージの進んだ癌の病変から引き起こされた心不全だった。病院からどうやって帰宅したのか、ほとんど憶えていない。あんなにお願いしたのに・・。

 「私の念力の馬鹿!私の願望の馬鹿!私の馬鹿!神様の馬鹿!馬鹿!」

 涙がとめども無くあふれ続けた。右手で強く握りしめた左腕には血が滲んだ。

 ・・・・・

 「ママ、このお花可愛い!」

 「でしょう!ママが子供の頃から大好きな花だったのよ。」

 住吉神社近くにある花屋から親子連れが手を繋いで出てきた。参拝客も多い大きな鳥居の前を通る時、母親はチラと本殿の方を見ながら軽く頭を下げた。

 「だれか居たの?」

 小学生になったばかりの娘はずいぶんおしゃべりになった。                


 

 「ううん、なんでもないのよ。あ!リリ、このお花の花言葉はね『小さな愛』って言うんだって。」

 袋の中のピンクの花びらのセントポーリアは、そんな2人を笑って見つめているかのようだった。(おわり)