2022年3月6日日曜日

【歴史上の人物シリーズ】源頼朝ってどんな人?~「鎌倉殿の13人」~

 NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放映中です。ドラマでは源頼朝役に大泉洋さんが配役されていますが、少し情けない人物像として面白おかしく描写されています。
 さて、実際の人物はどんな人だったのでしょうか?歴史学として、古文献に残された記録や彼の取った行動、人間関係等から人物像を予測するしかありません。また、彼の死因については落馬説や暗殺説、病気説など様々あって興味が尽きません。古代から中世時代の歴史好きの私としては、是非、インズピレーションで視てみたい人物です。当然、全てが視えるわけでは無く、一部分にしか過ぎませんが、感じたことを紹介したいと思います。あくまで、参考程度に閲覧ください。
 彼は、歴史の記述通り、平家との抗争に敗れ、

一族離散し、流人として、伊豆の方へ長い間、配流されていたのは事実のようです。その頼朝ですが、本人は、さほど平清盛を憎んでおらず、むしろ感謝している念すら感じます。ただ、いずれは源氏再興を願っていたのは本当のようですが、今までの歴史小説やドラマで表現されていたように平家一門を倒して源氏の世にするという強い意志は無かったと思います。
 長ずるに従い、周囲の坂東武者たちに担がれたのが事実のようです。彼らの意識の根底には、かつて平将門が新皇として関東独立国を興そうとした気概がいまだに根強く流れていて、京都の朝廷や平家の支配体制から脱却しようと虎視眈々と狙っており、その代表格として祭り上げられたようです。後に頼朝は、平家打倒を成し遂げ、武士による新体制を確立しましたが、常に心は京都の朝廷にありました。鎌倉の地に拠点を置いたとは言え、朝廷に逆らってまで関東独立国を立ち上げようとする気持ちは微塵もありませんでした。この状況が、後に北条氏を始めとする有力御家人たちとの間に意思疎通の溝を生み、晩年は孤立するようです。
 彼の体調面としては、肝臓や腎臓の持病があったようで、40代以降に急激に悪化し、かなり病弱の身でした。足腰の力も弱まり、落馬も実際にしましたが、馬から降りようとする際に足を踏み外した程度で、これが直接の死因ではありません。暗殺でも無く、病気で亡くなったのが実状のようです。
 彼は性格的には、どちらかと言うと陰キャラで、内向的な性格のようです。あまり人を信用せず、猜疑心の強い人でした。ただ、動物や草花を愛する優しい性根を持っていて、北条政子は、彼の出自や血筋と言うよりも、そういう人柄に惹かれたのかも知れません。