2022年1月29日土曜日

「自由意思」と「神の意思」の間に生きるとは?

  北欧の国々やアメリカの一部の州では、安楽死


が法的に認められ、特にスイスは、国外の人でも医師による自殺ほう助が認められているそうです。それとは少し話がそれますが、
最近、スイスで「自殺マシン」が近々開発され、実用化されるとの話がありました。見た目は、近未来的なおしゃれなカプセルで、その中に入ると5分程度で苦痛も無く死に至ることができるとのことで驚きです。命を絶つには様々な理由があるのは十分に分かります。単に自分の都合ではなく、どうしようもない病の苦痛から逃れるためや様々な事情があって周囲のことを考えて苦しんだ末の選択もあることでしょう。しかし、これは明らかに「自殺」の部類に当たります。昔、特攻隊という自爆攻撃がありましたが、これも自分の意思で行う自死ですから自殺には変わりません。しかし、この場合は、外圧による仕方のない事態や国民を守るためなどの自己犠牲の精神が大きく関与しますので、特攻で自爆した人の霊魂は、すぐに上位の神の力により神霊界へ引き上げられます。また、このような大局の波に吞まれるような時代に生まれて生きる人の人生は、ある程度運命で定められているからです。

 ところが、安楽死については、実状が違います。その理由がたとえ自己犠牲であったとしても定められた運命では無いからです。これははっきりと断言できます。自分で死を選ぶのは個人の「自由意思」ですが、これとは別に、一人ひとりには自分の霊魂を創造していただいた上位の神の「神の意思」もあることを忘れてはいけません。この「神の意思」は生きている間はなかなか分かるものではありませんが、明らかに存在します。その「神の意思」には自分で選択して安楽死するという運命は設定されていません。これは決して屁理屈では無く、信じてもらうしかないのですが、ご自分でも良く考えてみてください。必ず、私の述べているその意味が理解できるはずです。上位の神に与えられた命を最後まで大切にして、あきらめず生き続けるのが人生です。