2022年1月27日木曜日

【歴史上の人物シリーズ】聖徳太子ってどんな人?

  前回に続き、今回も古代史が続きますが、あの


超有名人!聖徳太子をインスピレーションで視てみました。用明天皇の皇子だとか、冠位十二階や十七条の憲法の制定者などのあまりにも有名な歴史的逸話はさておき、私が視るのは、個人の性格や近況等のありふれた事を感じ取るものなので、歴史上で定説となっていることと異なる見解があるかも知れません。そこはファンタジーと思って読んでいただければ結構です。

 この人物は、実在しなかったという説もあり、学界でも騒動になっていると聞きましたが、実在した人物と感じます。

 ただし、現代の日本人が抱くような超人や神人のごとき人物かというと少し疑問です。と言うのは、聖徳太子という敬称は、ずっと後の時代につけられた尊称で、また、昔の1万円札の肖像のようなお姿も後の時代に創作されたものだからです。これは、インスピレーションで視ても本当と感じます。1度に10人の話を聞いて答えられたという話も後の創作です。

 実際は、人から受けた相談などを的確にアドバイスできた人物に視えますので、これが伝説化したものでしょう。ただ、頭は良いと言っても、冠位十二階や憲法十七条などは、彼独自のアイデアでは無く、優秀な側近が居て、彼らの力によるところが大きいです。また、性格的には少し気難しいところがあり、癇癪(かんしゃく)を起すことも度々あったと視えます。また、厩戸皇子(うまやどのおうじ)という呼称は馬小屋で生まれたからとかキリストの生誕の故事にならったとかの説もありますが、これは関係ないようです。ちゃんと館の中での通常出産による生誕と視えます。

 若い頃は、当時の飛鳥?の都を離れ、今の大阪や滋賀、愛知などの地方にもかなりの期間、転々としている様子も感じます。若い頃のこの人のふだんの外見は、古墳時代の埴輪に良く見られるみずらの髪形に男性の服装と背の高い帽子をかぶる姿で感じます。顔は長めで、痩せて頬骨が目立つ精悍な顔立です。長ずるに従い、主に仏教に傾倒して行きますが、道教や儒教、原始キリスト教などあらゆる宗教にも精通していて、かなりの宗教通の人のようです。しかし、長じて推古天皇の摂政となり政治の世界に没頭するようになると歳を取るにつれ、


ストレスからか身体が日増しに衰弱して行くのを感じます。あまり政治の世界には向かなかったと思います。一族(叔父にあたる人?)の無理強いもあって仕方なくというところもあったようです。残念ながら無理がたたり、まだ50歳前後の若さで死去しますが、死因については彼は毒による自殺を図ったと感じます。聖人君子のように崇め奉られる人物も一人の悩み多き人間だったのです。