2022年1月5日水曜日

【歴史上の人物シリーズ】光明皇后ってどんな人?

  あまり知られていませんが、先日、たまたま歴史雑誌

を見ていましたら目に留まりましたので、少しインスピレーションで視てみました。
 この方は、東大寺の大仏を建立したことで有名な奈良時代の聖武天皇のお后です。藤原不比等と県犬養美千代の間に約1300年前の奈良に生まれた藤原氏出身の娘ですが、民間出身で初めて皇后にまで上り詰めた人として有名です。
 私も昔、奈良を訪れた際に、彼女が自分の邸宅に建立したと云われる法華寺を見学しているので、興味のある人物です。この人は聖武天皇の遺品を正倉院を建てて保存する等、貴重な文化財の保護にも貢献したほか、悲田院や施薬院という今の病院や養護施設の経営にも勤しみ社会福祉にも貢献した人なので、もう少しクローズアップされても良い人物と思います。
 さて、この光明皇后は、悪女だったとか絶世の美女だったとか色々な説がありますが、詳しくは歴史書をご覧いただきたいのですが、今回は、私がインスピレーションで視えたものをいくつか紹介したいと思います。

  彼女は、姫の身として生まれましたが、非常に利発な少女時代を過ごしています。特に母の美千代からの英才教育を受け、仏教のほか道教などの宗教も良く学んでいます。また、女性としては意外と刀剣を鑑賞するのが好きで、良く父の不比等にせがんで見せてもらっていたようで、周囲から変わり者に見られる事もありました。

 容姿は、当時としては、すらりとした長身の美女で、160cm以上はありそうです。少女時代から大人の男性の注目を集めていたほどで、彼女自身は困惑していたようです。自分の顔にコンプレックスを持っていて、聖武天皇の他のお后も美女ぞろいで、本人は鼻の低さを特に気にしていたようです(そんなに低く見えませんが・・)。

 どういう顔かと言うと、有名な興福寺の阿修羅像がありますが、この阿修羅像のモデルは当時の美少年では無く、30歳前後?の頃の光明皇后をモデルにしていると感じます。あの阿修羅のお顔をほっそりと女性らしくした感じで、現代でもテレビの女優さんとして通用するほどと感じます。

 性格は堂々としたお人柄ですが、良く悩み苦しむ内向的な性格も併せ持っていて、精神的な病に伏せることが多かったように感じます。仏教流布や大仏の建立に積極的でしたが、神道や道教の庇護にも手厚く応対しています。

 彼女は、悪女でもなんでもなく、誠実に真面目に生きた女性でした。60歳ほどで亡くなりましたが、どうも毒物に身体を侵されたものと感じます。少しづつ何者かに毒を盛られていたか、大仏建立の際の水銀を吸い込んだ?後遺症かも知れません。ご遺体は火葬されて、その骨壺は聖武天皇と並び佐保山に埋葬されました。

 そんな彼女は、本当は男性に生まれ、仏教の修行者を夢見ていました。仏教の一流一派を興せるほどの力を持っていた一面もあったようです。ただ、彼女自身は、自分の人生は失敗だったと嘆いている様子が少し気がかりでした。

 「この歴史上の人物シリーズ」は、今後、定期的に掲載したいと思います。