2021年12月23日木曜日

なぜ自殺はダメなのか?

  以前の投稿記事でも自殺否定論について掲載しましたが、確かに倫理・道徳的にも自ら命を絶つことは理にかなっていない示唆がなされています。しかし、これにスピリチュアルの観点を入れ込まないと不完全であると感じます。自殺を肯定する考え方には、大きく次の2点が考えられますが、これに反論する論点で文を進めたいと思います。

1 自分の命は自分のモノなので自ら命を絶つのは自由である。

 果たしてそうでしょうか?自分の意思って一体何ですか?認識と感情をベースとしたアイデンティティですが、これを自由意思とも呼びます。しかし、この自由意思は、大脳皮質の脳内作用に由来すると言われ、まさに身体を船に喩えれば、自由意思は船長さんですね。でもこの「あなた」という自由意思は、睡眠中や麻酔時の意識が飛んだ状態の時はどこにいるのでしょうか?その時は、あなたの身体はどうなっていますか?意思に関係なく心臓も臓器も動いて生命を維持していますよね。これは自律神経の仕業ですが、意思で自由に手足は動かせても、心臓を止めたり、血流を止めたりはできないでしょう。身体の中にあなたとは別の働きが同居しているということです。あなたの意思は、死のうと思っていても五臓六腑は一生懸命生きようとしています。また、あなたが今まで成長できたのも、大自然の営みや水、食物や多くの人様のお陰です。あなたが勝手に自分を成長させたのではありません。この事実に気づくことを「感謝する」と言います。つまり、あなた自身の身体や生命は、実はあなたの独占物では無いという事に気づくはずです。全ての臓器や全細胞が死の道を選んだらあなたの自由意思もそれに従えば良いのですが、そんなことは絶対にありません。あなたのわずかばかりの小さな手前勝手な考えで身体を傷つけることも死に至らしめることもできません。

2 死ねば霊魂も自由になって、この世から離れることができる。よって死んだ方が楽になる。

 これもおかしな話です。神霊の存在はいったい幾つあるとお思いですか?私たち生きている人間のこの頭脳では、どんなに頭の良い優秀な人でも決して理解できるものではありません。何度も言いますが、私たちの霊魂は、上位の神々によって生かされて操作されているものです。これが真実です。なので、昔の人は、神仏に対する信仰を絶やさなかったのです。科学の隠れ蓑のためにそれが見えなくなっているのです。本来は人間ごときに神霊の世界を知ることはできません。この生命は、自分がつくったものでは無く、与えられたものです。よって、死を選ぶこともできません。勝手に命を絶てば、神々の意思に反したルール違反となり、死後に辛く厳しい制裁が待っています。これは逃れようがありません。奇しくも、昔『世にも奇妙な物語』で自死した女優の竹内結子さんが「箱」というドラマを好演しましたが、狭い箱の中に延々と閉じ込められるという恐怖を描いたホラーでした。閉所恐怖症の方なら1時間も待たずに発狂してしまうことでしょう。このような苦しみがこの世の時間感覚で何十年何百年も続くものと


考えてください。発狂して気絶や死ぬことも許されません。また、病気やケガ等で身体の激痛に苦しめられた経験をした方も多いと思いますが、このような苦痛が途切れることなく何十年も続いたらどうでしょう?これ以上の苦痛や後悔が自殺の死後は待っていると考えてください。神々は非常に厳しい面も持っていることを忘れてはダメです。自ら死して苦しみから解放されると考えるのは幻想です。

 今回は、少し長くなりましたが、スピリチュアルの観点で見て、魂には死後のその後の世界が待っていることを肝に銘じてほしいものです。