2020年6月17日水曜日

「過去 現在 未来」(その1)

 私たちは、「今を今生きて」います。
 時計の針が、容赦なく無造作に進んでいくように私たちも時間の流れに為すすべもなく流れ行くだけです。今を確認しながら。今、幸せだろうが不幸だろうが、それは不変ではありません。考えてみると過去のことは辿ってきた道ですから何となく分かります。現在は、今なのでリアルに感じます。でも、未来は見えず、分からずです。
 人は、この未来が分からない「未知」のものであるから不安を感じ、怖れるものです。
 良く考えてみれば、数直線上の0点を打って、これを今として左側を過去とすると必然、右側は未来となる。実は、過去も未来も同等なんです。
 「光」は粒子と波動の二面性を持ち、質量がありません。その証拠に試しに分厚い鉛の箱にでも電球のような光源を閉じ込めて何十日も置いても全く質量変化はありません。この光自体には、時間概念が存在しないそうです。つまり、過去も現在も未来も無い。でも、私たちには、明るくまぶしく感じることができるので、今という時間を共有できていることになる。「有って無い。無いのに有る」というなんとも不思議な存在です。
 これは、過去も現在も未来も実は一つに包められていることを示唆しています。
 でも、現実を生きる私たちの世界概念では、これはそのまま通用できませんよね。
しかし、例えば、過去のことを覚えているけれども、どこまで思い出せるでしょうか?
仮に今までの一生を24時間ずっと記録し続けたVTRでもあればリアルに思い出せるでしょうが、それは映像による他者の追体験を見ているのと同様です。自分自身がその時の周囲の状況、心情をリアルに思い出せるかというとそんなことはできません。過去を頭で思い出しているときと夢を見ているときはほとんど似ているはずです。過去は確かに存在したが、夢と変わらないということです。過去にいつまでも囚われるのは愚かな行為、夢うつつと変わらないということです。